《選択的共生型教育》
・あらゆる選択肢がフラットに
・選択肢同士がお互いを尊重し合い
・それぞれが自分らしい幸せを追究でき
・共に満ちる豊かでカラフルな世界
・教育がそれらのプラットフォームになる
私は本当に、こういう景色がひろがる世界をみたいので。そして、これらは少しずつでも確実に、目の前に広がっていくことは体感しています。
あらゆる選択肢が純粋に。
子ども達にとって(関わる人にとって←結局全ての人だと思ってるけれど)、本当に純粋にフラットな選択肢であるように。
その選択肢の道は、
お互いが遠く遠く離れて行くのではなく、
お互いが重なり合うことも
お互いがある時には合流することだって自然にあって
「私はこの道、行ってみる」
「私はこっちの道、行くね」
「私はこっちの道を選ぶけど、あなたの道もいいね。」「ねー、いいね。」
くらいの軽やかさと、お互いの眼差しを。
でね、今は教育のことを話すと、
くくりが大きすぎて乱暴になる傾向があるような。
「学校は…」
「先生は…」
「子どもは…」
せめて、「私の知ってる学校」は、
とか、「私の知ってる先生」は、の範囲の話だと自覚して、その中でも、それを受け取っているのは自分という個人の感覚であり、感性であり、感情であり…
そういうことを、認識しつつ、
現実と事実と、それに対する共感と、違和感と。
私が、注目するのは、
これらの現実と事実に対する共感と違和感は、
やはりその人それぞれのビジョンがあってこそ。
自分の思い描く何かがあるから、
それに対して共感したり、違和感を感じたり。
何が言いたいかと言うと、
そのビジョン(みているもの)は、
どこかの誰かのビジョンではなくて、
あなた自身の、個人それぞれのビジョンなのだから、
それをとことん見つめて、何で違和感があるのか、何に対して共感してるのか、
それらを丁寧に見て、気づいていくことが、最初に書いた《選択的共生型教育》の根本的な土台となるように感じていて。
教育とは、学校教育だけでなく、
家庭でも同じ。社会でも同じ。
だから、あなたのビジョンはなに。
あなたの見ているものはなに。
それはどこに続き、どんな過程を経ていくのか。
で、それってね、「話すとはっきりとしてくる」んじゃないかなと。
書くのもいいよ、考えるのもいいと思う。
ただ、身体のことを探究している私の感覚だと、
「話す」ということの、身体・音・振動・運動・連動は、かなり意味があるように感じています。
そしてもう一つ、時間軸。
変化・成長は、時間軸があるから感じられるもので、少なくとも2点があるからわかるもので。
だから、ビジョンをとことん、
話して伝えて、それらを時間軸で丁寧に感じながら。
多分、それが循環し始めたならば、
自然に何かが動き出し、勝手にそれぞれ実現が増え、選択的共生型教育の世界になっていくんだとも思います。
私も自分のそれは朋育で表現・実現しつつ、
(まだまだ想像しているものの数割しか表出してないので、またまたおもしろくなる予定)
一人ひとりが、本当に大切だから。
尊い存在だと思っているから、
一人ひとりのビジョンをクリアにしつつ、
時間軸で伴走し、共に変化と成長を味わうことを、していきたいと思っています。
・
あなたのビジョンを教えてください・とことん聞きます【選択的共生型教育コーチ】
・
もう一つは、教育に対する長いスパンの視点で伴走する人がいてもいいんじゃないかなーと、前から思ったりもしてたわけです。
家庭教育だけじゃなく、
学校教育だけじゃなく、
社会教育だけでなく、
これから生まれるかもしれないニュータイプの教育、などなど総合的に、教育っていうものに、
(私は教育って、生きてるうちは、ずっと自然に関わってるものだと思っているので、すでに言ってることは人生なんではなかろうかとも思うのだけど)
誰かの正解が正解ではなく、
あなたの幸せのための道のりは何かを、
そこで教育をどういう視点でみて、どう進んでいくのか、一緒にというか、共にというか、定期的に、時間軸で、関わる人。
【選択的共生型教育コーチ】
そんな存在でもあります。
・・・
コーチと聞いて、大きな声で、叱責する人を想像する人は、そのイメージを是非塗り替えて(笑)
私の思う本当のコーチ、コーチの本質は、そういった感じとは全く異なります^_^
・・・
《選択的共生型教育》
【選択的共生型教育コーチ】
朋育(ともいく)を設立して1年。
出会いの中で、動いていく中で、これらの構想はますます自分の中外で大きくなってきています。
どうぞよろしくお願いします☆
・・・
『満ちる・豊かに・幸せに』
みんな自分らしく生きて
にっこりできたらいいやん。
✨本当はみんなもっとカラフルだ✨